存在の耐えられないゆるさ。

躁うつはけんOLの脳内記録。

最近のこと

最近のこと。

 

3月から在宅勤務がはじまって、そろそろもうほとんど3ヶ月、家にいる時間がどんどん増えて、人に会わないことを前提にした生活にもかなり慣れてしまった。

メンタルの調子は、かなり良好。

ひとりでいると、調子が悪くなりかけても外から刺激されることがないので悪化しにくくて、ぼんやり「調子悪いな」と思っている間に大丈夫になる。

 

人の悩みの8割だか9割だかは人間関係だと言ってる哲学者がいた気がするけど、ほんとにそうなんだろうなあ。

 

数日まえから、基本毎日在宅(私は4月6日の緊急事態宣言以降一度も会社に行っていない)が「半分程度は出社」というぼやっとした方針に変わってちょくちょくオフィスで仕事している。

やっぱりオフィスにいると集中できるし、仕事をひとつずつ片付けているうちにいつの間にか18時、という感じで、やっぱり在宅は快適だけどスピードは落ちてたんだなあと実感。

めんどくさくて手をつけていなかった、後回しにしていた仕事もオフィスに行くとさくさくできてしまった。

 

そして、久しぶりにメイクをして、おしゃれをして会社に行くと、やっぱり刺激があって楽しい。

そのぶん疲れもはんぱなくて、昨日の夜は動けなくなってしまった。

 

つまり「会社に行くと仕事に集中できる」のはたしかだけど、心と体にかなりの負荷がかかっていることになる。

仕事がさくさくできる!でも、本来のキャパを越えた仕事量をこなしてしまっているということだと思う。

 

かといってキャパを増やすのか、仕事量を減らす(もしくは適度に手を抜く)のか、というところは難しい。

 

私が省エネに、そして幸せに暮らすにはどんな仕事について、どれくらい稼いで、どんな生活をするのが最良なのか。

このまま大阪にいるのがベストなのか、海外にいくのか、日本のもっと田舎にひっこすのか、、

結婚は?こどもは?

好きなこと(翻訳、もっとカルチャーよりのこと)を仕事にする??

 

考えることはいっぱいあって、答えは見えているようでやっぱりやってみないとわからない。

そして、また鬱の最悪の状態にどっぷり落ちてしまったら、と思うとこわくて、なかなか行動できない現実がある。

 

とにかくその日その日をご機嫌に「落ちないように」過ごすことがいちばん、になってしまっているし、それが今は正解だと信じているけど、どこかのタイミングで冒険する必要がある。

 

坂口恭平さんの「躁鬱大学」が ブレイクスルーになって、なにか変わるんじゃないかと思っている。

 

とりあえず自分の人にいい顔しておきながら結局自分のことを考えている。サービス精神が旺盛すぎて損をする。個性的であるようで、結局自分というものがよくわからない。欲望に正直すぎる。などなど、長年かかえていたモヤモヤであり、いつも自己嫌悪に陥るきっかけになっていた部分が「躁鬱人の特性」だとひらきなおることができたのはかなり大きい。

 

HSPの本にもかいてあったことだけど、芸術や自然にふれたときの感動具合がそうでない人よりも深い。

まずは気持ちいいこと、心が喜ぶことを積極的に生活に取り入れていきたい。

 

具体的にはウクレレ、それからお絵かき、短歌をつくること、など。